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和歌山地方裁判所 昭和59年(ワ)37号 判決

原告

村上彌太郎

被告

山崎巌

ほか一名

主文

一  被告らは原告に対し、各自金一〇三一万一八七九円およびこれに対する昭和五六年三月二二日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告のその余を被告らの負担とする。

四  参加によつて生じた費用はこれを二分し、その一を原告のその余を補助参加人の負担とする。

五  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、各自金二六八六万四四三三円およびこれに対する昭和五六年三月二二日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告(昭和六年一二月六日生まれの男性)は左記の交通事故(以下「本件事故」という。)により傷害を受けた。

(一) 日時 昭和五六年三月二二日午後〇時三〇分ころ

(二) 場所 和歌山県郡賀郡桃山町大字調月一二二九番地先路上

(三) 加害車両 普通貨物自動車(和一一す八四七号。以下「本件車両」という。)

(四) 態様 被告山崎巌(以下「被告山崎」という。)が原告ほか一名同乗の本件車両を運転して、本件事故現場付近(貴志川堤防)を北進中、ハンドル操作を誤り本件車両を堤防路上から川方向(左側)下に転落させ、原告に頸椎捻挫、両大後頭部三叉神経痛、左悸肋部打撲症、頸部挫傷による頸部椎間板症の各傷害を与えた。

2(一)  被告山崎は本件車両の運転手として、本件事故現場付近の堤防上の路面を走行するときは、路面から車両が逸脱することがないよう路肩の位置に注意して適切なハンドル操作をなすべき義務があるのに、これを怠り、本件車両を堤防の下に転落させ、同乗していた原告に対し前記の各傷害を与えたものであるから、民法七〇九条により原告が本件事故によつて受けた損害を賠償する義務がある。

(二)  被告竹田は、本件車両の所有者であつて、本件事故は本件車両を自己のための運行の用に供していた際生じたのであるから、自賠法三条により、原告が本件事故によつて受けた損害を賠償する義務がある。

3  原告は本件事故による前記傷害の治療のため、以下の各医療機関においてそれぞれ治療を受けた。

(一) 国保郡賀病院(以下「郡賀病院」という。)において、昭和五六年三月二二日から同年三月二五日まで通院(日数四日)、同年三月二六日から同年五月二三日まで入院(日数五九日)、同年五月二四日から同年九月二一日まで通院(日数一二一日)。

(二) 仲井間外科病院(以下「仲井間外科」という。)において、昭和五六年九月二六日から昭和五七年二月二二日まで入院(日数一五〇日)、同年二月二三日から昭和五九年一〇月三日まで通院(日数九五四日)。

(三) 和歌山労災病院(以下「労災病院」という。)において、昭和五九年一〇月四日から同年一〇月二二日まで通院(日数一九日)、同年一〇月二三日から昭和六〇年三月二日まで入院(日数一三一日)、昭和六〇年三月三日から同年一〇月二二日まで通院(日数二三四日)。

4  原告は、本件事故による傷害のため、前記のとおり入通院治療を続けたが完治せず、昭和六〇年一〇月二二日症状固定の頸部挫傷による頸部椎間板症、頸椎・左肩運動障害、左耳鳴り残存の後遺障害が残つた。

なお、右後遺障害の程度は、労働基準監督局長通牒昭和三二年七月二日基発五五一号八級二号に該当する。

5  原告は本件事故により以下の損害を受けた。

(一) 入院雑費 金三四万一〇〇〇円

入院期間は合計三四一日間であり、入院一日にあたり一〇〇〇円として算出した。

(二) 入院付添費 金四五万八五〇〇円

原告が労災病院入院期間中の一三一日間毎日原告の妻が付添つたが、右期間中一日あたり三五〇〇円として計算した。

(三) 入通院慰藉料 金四五〇万円

原告の入通院等治療経過は前記のとおりであり、これによる慰藉料としては金四五〇万円を下回わることはない。

(四) 後遺障害慰藉料 金五五〇万円

原告の後遺障害は前記のとおりであり、右慰藉料としては金五五〇万円を下回わるものではない。

(五) 休業損害 金二〇〇〇万一三八四円

原告は本件事故による傷害のため、本件事故の当日である昭和五六年三月二二日から現在に至るまで休業を余儀なくされている。

原告の本件事故による休業損害算定の基礎となる期間は本件事故の日である昭和五六年三月二二日から前記後遺障害の症状固定の日である昭和六〇年一〇月二二日までの一六七六日間とした。

また、原告の収入は、労災保険の休業補償給付の算定基礎である給付基礎日額一万一九三四円として算出した。

(六) 逸失利益 金二〇四〇万四〇八五円

原告の年収は、前記日額金一万一九三四円に三六五を乗じた金四三五万五九一〇円として、また労働能力喪失割合は右後遺障害が、前記労働基準監督局長通牒八級二号に相当するから四五パーセントとして、就労可能年数は原告の後遺障害の症状固定日である昭和六〇年一〇月二二日当時の満年齢五三歳から満六七歳までの一四年間、これに対応するホフマン係数は一〇・四〇九四として計算した。

6  損益相殺

原告は本件事故により原告が受けた前記損害から以下の一部填補を受けたので、これを右損害額から控除する。

(一) 労災保険の休業補償給付 金一一九七万八六八〇円

本件事故の四日後から後遺障害症状固定日である昭和六〇年一〇月二二日までの一六七三日分、一日当たり七一六〇円。

(二) 労災保険の障害一時金 金七〇八万三三〇六円

前記後遺障害等級八級二号として

(三) 自賠責保険より治療費として 金一二万八五五〇円

(四) 自賠責保険より後遺障害補償 金六七二万円

(五) 任意保険より 金三三万円

(六) 被告山崎より 金六〇万円

7  弁護士費用 金二五〇万円

被告らは前記のとおり、本件事故により原告が受けた損害のうち一部の金員しか任意にその支払いをなさなかつたため、原告は本件原告訴訟代理人に本件訴訟の提起・遂行を委任せざるを得ず・被告らが負担すべき本件事故と相当因果関係にある弁護士報酬としては金二五〇万円が相当である。

8  以上の次第で、被告らは原告に対し各自金二六八六万四四三三円およびこれに対する本件事故の日である昭和五六年三月二二日から支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。(以上の計算関係については別紙計算式1参照。)。

9  よつて原告は被告らに対し、本件事故による損害賠償金二六八六万四四三三円およびこれに対する本件事故の日である昭和五六年三月二二日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員の各自支払を求める。

二  請求原因に対する認否および被告の主張

1  認否

(一) 請求原因1項のうち前文および(一)ないし(三)の事実は認めるが、同項(四)のうち原告の受けた傷害の内容は後記のとおり否認する。

(二) 請求原因2項の被告らの責任原因はいずれも認めるが、被告らが原告に対して本件事故により損害賠償する義務のあることは争う。

(三) 請求原因3項のうち、原告が、原告主張の各医療機関においてそれぞれ治療を受けたとの事実は認めるが、後記のとおり本件事故と原告の治療を要した傷害との因果関係について争うほか、その入院等による治療の必要性があつたとの事実は争う。

(四) 請求原因4項のうち、原告に原告主張の障害が残つているとの事実、後記のとおりその後遺障害の程度および右障害と本件事故との因果関係の有無についてはいずれも争う。

(五) 請求原因5項はいずれも争う。また、後記のとおり請求原因5項(五)、(六)についてはその休業損害および逸失利益算出の基礎となつている本件事故以前に原告が得ていた収入については否認する。

(六) 請求原因6項のうち原告が本件事故によつて、同項(一)ないし(五)の各給付を受けたとの事実はいずれも認めるが、後記のとおり、原告は被告らより原告ら主張の金六〇万円だけではなく、合計金九六万円の給付を受けている。

(七) 請求原因7ないし9項はいずれも争う。

2  主張

(一) 本件事故は、被告山崎が本件車両を運転していて、被告山崎は運転席に座り、そのすぐ左に原告が座り、さらに原告をはさんで助手席の窓側に訴外澤谷隆(以下「訴外沢谷」という。)が座つていたところ、本件事故の現場である堤防上の道路から本件車両が転落したものである。そしてその態様は、運転していた被告山崎が、水たまりを避けようとしてハンドルを左に切つたところ、本件車両の前部のタイヤが路肩に乗り、同被告が急ブレーキをかけたところ、積み荷がかたより転落したものであり、堤防上の道路から河川敷までの斜面の直線距離は約九メートル、道路から河川敷までの高低差は約四ないし五メートル、角度は約三〇度程度のゆるやかな斜面を本件車両は二回転半し、三ないし四秒かかつてゆつくり転がつて停止したにすぎず、また右斜面、河川敷とも土の上に草が生えていて、また本件事故の前日の雨でやわらかくなつているような状態であつたので、強いシヨツクは本件車両にも、中に乗車していた原告らにも加わらなかつた。

本件事故ののち、被告山崎がまず本件車両の外に脱出し、ついで同人が原告、訴外沢谷の順に本件車両外に助け出したものである。原告らには特に外傷はなかつたが、被告山崎は原告らを念のため本件事故現場から那賀病院まで搬送したうえ、同病院において診察・治療を受けさせた。被告山崎のけがは同病院に二日通院しただけの軽症であつて仕事を一日も休んだということはなく、また訴外沢谷の病状も同病院において約二〇日ないし一か月程度の通院治療の結果全治する程度の軽症であつた。

原告の本件事故直後の那賀病院における診察の結果は、全治約一週間を要する頸部捻挫、顔面擦過症、胸腰部打撲の軽症の診断であつたにすぎない。

前記の本件事故の態様に照らし、また本件車両に乗車していた被告山崎および訴外沢谷の負つた傷害の程度からして(原告は被告山崎と訴外沢谷の間に座つていたのであるから、原告が本件事故により被告山崎あるいは訴外沢谷が受けた傷害の程度より重い傷害を受けたというのは不自然である。)、原告が本件事故によつて原告主張のとおりの入通院を繰りかえす程度の重症を負つたものとは考えられない。

(二) 原告の本件事故後の治療の経過についてみるに、原告は本件事故当日那賀病院において診察を受け、同病院のカルテの記載によれば、頸部痛、左背部圧痛、左腰部圧痛、右前腕部圧痛等の症状があつたにすぎず、同日胸部、腰部、頸部のレントゲン撮影が行なわれたが、診断名は前記のとおり頸部挫傷、顔面擦過症、胸腰部打撲であつて、レントゲン撮影の結果、後記記載の原告の既往症である頸部椎間板症以外何らの異常所見が発見されてはいない。

原告は、本件事故ののち四日を経過した昭和五六年三月二六日から同病院に入院しているが、いかなる病的変化があつて、同病院に入院することになつたのか同病院のカルテからは不明であるし、また原告の同病院における病状の変化についてはカルテに記載がないので詳細については全く不明である。また原告は同年五月二三日には同病院を退院して、その後同年九月二一日まで同病院において通院治療を受けているが、その内容は、消炎、鎮痛を目的とする理学療法および温熱療法にすぎない。

原告は、その自宅から近いという理由で那賀病院医師の紹介で仲井間外科において昭和五六年九月二六日診察を受けている。そして原告は、初診日である同日同病院に突然入院しているが、入院に至つた理由については全く不明である。しかも、原告が同病院において入院治療を受けたのは同日から昭和五七年二月二二日までの一五〇日間にわたるのであるが、その間原告が外泊した日数は入院カルテによれば実に三八日間にもおよび、このことからしても到底入院が必要であつたとは考えられない。

さらに原告は昭和五九年一〇月四日労災病院において受診し、その際におけるレントゲン撮影の結果によれば第四、第五、第六頸椎間の不安定性が著明であるとして、同年一一月二日頸椎前方固定術を受けている。

しかし、前記のとおり本件事故当日である昭和五六年三月二二日に那賀病院において診察を受けた際における同病院のカルテの記載およびレントゲン撮影の結果からすると、原告が本件事故によつて受けたと主張している傷害のうち、頸部挫傷による頸部椎間板症は、その発症が本件事故後約三年半後であることも考えあわせると、本件事故との事実的因果関係すらきわめて疑わしく、原告の他の病的原因による傷害にすぎないものであるとの可能性が存するし、また本件事故から約四年半後である昭和六〇年一〇月二二日に症状が固定したとされる頸部挫傷による頸部椎間板症、頸椎・左肩運動障害の後遺障害は本件事故と因果関係があることが疑わしいものであつて、これらの傷害の治療に要した費用、治療期間中の休業損害等の損害および右後遺障害による慰藉料、逸失利益等の損害については、本件事故と相当因果関係がないものとして被告らがその損害を賠償すべき筋合いのものではない。

また、原告の左耳鳴り残存の後遺障害は本件事故による傷害に基づくものではなく、大工として電気のこぎりを使つていた原告の職業からくる職業性難聴にすぎない。

(三) 原告は、労災保険の給付基礎額が日額金一万一九三四円であることから、これを基準にその休業損害および後遺障害による逸失利益を算出している。

しかし、右給付日額は本件事故前三か月の賃金の平均日額であるが、右期間は原告の仕事が偶然極めて忙しい期間で、従つて賃金も通常の期間と比べ異常に多い額にのぼつている。すなわち、原告の通常の期間は一日金一万一〇〇〇円の日当で、一か月あたり約二二、三日間働いていたにすぎないのにもかかわらず、本件事故前約三か月くらい小学校の校舎建設のための突貫工事に原告も加わり、平均して月二九日も働いていたのである。従つて、原告の休業損害および逸失利益の基礎としては、通常の月収である月金二四万二〇〇〇円ないし金二五万三〇〇〇円を基準とするべきである。

三  抗弁

1(一)  本件事故については原告と被告らとの間において昭和五六年六月八日ころ、示談(以下「本件示談」ともいう。)が成立していて、その内容は左記のとおりである。

(1) 被告らは原告に対し慰藉料金一〇万円を支払う。

(2) 原告は労災保険金の支給を受けたときは、被告両名に対し被告両名から休業補償として受領した金七〇万円を返還する。

そして、右示談に基づいて、示談の席上被告山崎は原告に対し金一〇万円を支払つた。なお、右示談は原告の自発的申出によるものであつた。

(二)  本件示談の当事者については、本件示談にかかる示談書(乙第八、第九号証。以下「本件示談書」という。)に記載されている当事者は被告山崎と原告の二名であるにすぎない。しかし、本件示談を行なつた場所は被告竹田の事務所であり、被告竹田も本件示談の席に同席している。そのうえ、立会人欄には被告竹田が署名し、原告に対する示談金も被告山崎にかわり被告竹田が全額立替えて原告に交付している。

また、仮に本件示談が原告と被告山崎との間の示談にすぎず、被告竹田に対しては原告が別途請求するというのであれば、当然本件示談の際そのような話が出てしかるべきであるが、そのような話は本件示談の席上一切出ていない。このことは本件示談が原告と被告山崎間のみではなく、原告と被告竹田との間においても有効に成立していることの裏付けとなつている。

なお、本件示談書の作成経緯について原告は、原告が被告山崎の労災保険の給付手続に必要であるからとの言を信じ、その目的のためにのみ本件示談書に署名したものであり、原告は被告らと示談する意思は有していなかつたかのように主張するが、原告は以前にも労災保険の給付を受けたことがあり、労災保険給付手続については熟知していたのであるから、本件示談書のような書類が労災保険に必要であると考え、その目的のみに利用するとの趣旨で本件示談書に署名したというのは不自然であるというほかなく、原告は被告らとの間に真実示談をする意思で本件示談書に署名したものと考えるべきである。

(三)  原告は本件示談の効力について錯誤による無効を主張し、その根拠として原告が生活に困窮していた点および示談金が金一〇万円と低額であつた点をあげるが、被告らは原告に対し生活費補償の趣旨で、本件示談以前、昭和五六年四月五日に金八万円、同年五月六日に金一五万円、同年六月八日に金三七万円とそれぞれ原告に支払つていて、原告は本件示談のころ生活費に困つていたとは考えられないし、本件示談金の金額については、治療費その他実損の大部分が労災保険および本件車両の保険等の自動車保険でカバーされることになつていたうえ、本件事故が原告らの仕事中に生じたものであり、かつ加害者が雇主である被告山崎であつた点、当時の原告の傷害がさほど重症でなかつた点からして、金一〇万円という金額は必ずしも低額なものとは考えられない。

また、本件示談の際に原告の予測をこえた損害について示談の拘束力が原告に及ばないことは当然であるが、予測しえた損害については本件示談の拘束力が原告に及ぶものであるし、また原告の本件事故による損害はいずれも原告において本件示談当時予測しえた損害である。

従つて、本件示談については要素の錯誤はなく有効なものである。

(四)  以上本件示談における金額をこえて、原告が被告らに対してしている本件損害賠償請求には理由がない。

2(一)  原告には、本件事故により傷害を受ける以前から、頸部椎間板症という既往症があり、このことは本件事故直後原告が那賀病院において診療を受けた際におけるレントゲン写真(那賀病院から送付され、本件第一二回口頭弁論期日において提示されているもの。)から明らかである。

そして、本件車両に原告とともに同乗していた被告山崎および訴外沢谷の傷害の程度が軽かつたということは前記のとおりであつて、原告に頸部椎間板症という既往症がなければ、原告の治療が本件事故後症状固定まで四年半もの長期間を要することもなく、また症状固定後においても、原告に労働基準監督局長通牒八級二号に該当する程度の重大な後遺障害が残存するということもありえなかつた。

また、本件における鑑定人伊藤篤(以下「伊藤医師」ともいう。)作成の鑑定書および同人の証人としての供述によると、伊藤医師は、原告の治療を要した前記各傷害および前記原告の後遺障害に対する本件事故および既往症の寄与した各割合について、本件事故七・既往症三あるいは本件事故六・既往症四と判断している。

(二)  また、一般に身体に対する加害行為と発生した損害との間に相当因果関係がある場合において、その損害が加害行為のみによつて通常発生する程度、その範囲をこえるものであつて、かつ、その損害の拡大について被害者の体質的素因が寄与しているときには、損害を公平に分担させるという損害賠償の理念に照らし、その損害賠償の額を定めるにあたり、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、その損害の拡大に寄与した被害者の右事情を斟酌すべきであり、これにより加害者の損害賠償義務が減じられるべきである。

(三)  本件においては、前記のとおり伊藤医師の作成の鑑定書および同人の証人としての供述からしても、本件事故により原告が受けた傷害およびそれによる後遺障害に対して、原告の頸部椎間板症の既往症が三ないし四割は寄与しているものと認められるべきであり、本件事故後発生した原告の全損害のうち、少なくとも三割を控除のうえ、被告らが損害賠償すべき金額が定められるべきである。

(四)  なお原告は、本件事故により原告が受けた損害として前記各医療機関に対して支払つた治療費をあげていないが、原告の那賀病院における治療費としては合計金一〇七万一四五〇円を要していて、これらはすべて被告ら(実質的負担者は被告竹田と自動車損害賠償責任保険契約を締結していた被告両名補助参加人。)が支払つているのであるから、右治療費のうち少なくとも三割については原告がこれを負担すべきであるので、前記治療費の少なくとも三割が被告らの支払うべき損害賠償金から控除されるべきである。

3  被告らから原告に対して、本件事故によつて原告が受けた損害の一部賠償として支払われた金額は、原告が自認する金六〇万円だけではなく、昭和五九年四月五日に金八万円、同年五月六日に金一五万円、同年六月八日に金三七万円および金一〇万円(前記本件示談金)、さらに同年七月七日に金二六万円の以上合計金九六万円であるから、原告が本件事故による損害賠償金の一部として受領した旨自認する前記金額に、被告らから原告に対する支払い金九六万円を加えた合計金額が、前項記載のとおり過失相殺の類推適用による減額をした金額から損益相殺されるべきである。

四  被告の抗弁に対する認否および反論と原告の再抗弁

1  抗弁1項の原告および被告らの間において、本件について示談が成立したとの事実は否認する。本件示談書(前記乙第八、第九号証)が作成された経緯は、原告が被告山崎からの労災保険の給付手続に必要であるからとの言を信じ、その目的のためのみに限るとの趣旨で原告が署名したものであり、当事者である原告および被告山崎の間に示談の合意自体がない。なお、右示談書とされている書面の契約当事者は同書面から明らかなように、被告山崎のみであつて、被告竹田は含まれていない。

2  仮に、本件示談が成立していたものと認められるものであつたとしても、本件示談は以下の理由により錯誤により無効である。

すなわち、原告は本件示談が成立したとされる昭和五六年六月八日当時、那賀病院に通院していたが、当時の原告の自覚症状は後に発症するに至つた重篤な症状に比較すれば軽微なものであつて、原告自身当時の症状以上に本件事故による症状が進行・憎悪することは全く予期しておらず、本件事故により原告が受ける全損害について把握しうる状況にはなかつた。また原告は本件事故による休業のため収入がなく、早急に生活資金を得る必要に迫られ金一〇万円という極めて少額の示談金による「示談」に応じたものである。

本件示談は原告の本件示談当時の症状を前提としてなされたものであり、当事者間において、原告の本件事故による傷害が軽微なものであることを前提としてなされたものであつて、原告の症状が前記のとおり著しく長期化かつ重大化することは原告自身予測しえず、また予測しえなかつたことについて原告に何らの過失もないのであるから、原告の本件示談をするについての意思表示にはその重要な部分について錯誤があつたものというべきであり、右意思表示は無効であるから、民法六九六条の規定は適用になりえない。

3  抗弁2項は以下のとおり争う。

(一) 本件事故による受傷前に、原告に頸部椎間板症の既往症があつたとの被告らの主張は、その証拠による裏付けが不十分である。

すなわち、被告らの右主張は伊藤医師作成の鑑定書および同医師の証人としての供述に基づいているものであるが、同医師の右見解は、原告の加齢的変化を考えあわせ、通常受傷によつていきなり頸椎に狭小化が起こりえないこと、本件事故の際における他の受傷者が短期間に治癒していること等を根拠にしているにすぎず、原告に頸部椎間板症の既往症が受傷前から存在すると認めるべき医学的根拠が薄弱である。

また、原告が、本件事故以後に治療を受けた那賀病院、仲井間外科および労災病院の各主治医記載の各カルテには、頸部椎間板症の症状がいずれも記載されていないことをみると、はたして原告に、頸部椎間板症の既往症が存したのか否かについて多大の疑問が残る。

(二) 仮に、原告に、本件事故以前に頸部椎間板症の既往症があつたとしても、これをもつて、被告らの責任軽減や、賠償金額の減額事由とすることは、実定法上の根拠を欠くばかりか、かえつて正義と公平の理念に反する。

およそ不法行為による損害の発生には加害行為のほか、被害者の行為や持病、体質、加齢による体力的衰え等の素因がなんらかの寄与をしているのが一般であつて、純粋に加害行為のみによつて損害が生じることはあり得ない。しかし、これら加害行為以外の要因は、一般的に予見不可能な程度に損害の拡大をもたらす希有の事由でないかぎり、加害者の責任の軽減等をもたらすものではないというのが不法行為法の大原則である。

すなわち、加害者は、相当因果関係のおよぶ全損害について、かつその限度において責任を負うものである。このことは加害者の過失がいかに小さいものであつても、被害者の過失がない限り実定法上は被害者の受けた全損害について責任を負うとされていることからも明らかである。すなわち、不法行為にあつては加害者の責任が軽減されるのは、被害者に過失がある場合に限られるものと解されるべきものであつて、民法七二二条はこのことを定めたものであつて、これ以外の要因によつて加害者の責任の範囲や賠償すべき損害額を同条を類推適用することにより限定するということは、同条の存在意義を失わせることになつて不当である。

不法行為の場合、債務不履行の場合と異なり被害者は加害者に対し何らの義務もあらかじめ負担しているものではないし、病的素因の損害発生への寄与もみずから選択したものではなく、むしろ違法な加害行為によつて強制されたものであり、また病的素因が損害発生に寄与することを回避すべき義務を違法な加害行為をした加害者に対して負うものでもないから、素因の寄与した損害部分を被害者の責任領域内のものということもできない。したがつて被害者に損害を負担させるのはむしろ正義と公平の理念に反するものであつて、また見方をかえてみれば、事故の寄与度に応じた責任ということであつても全損害が事故の寄与部分と解するべきである。

まして本件においては、原告の頸部椎間板症は加齢的変化もあわせ考えられるのであつて、加齢現象はすべての人間に不可避の現象であり、自己の支配領域に属しないから、その責任領域に属するものではない。また、加齢に伴う椎間板の狭小化は決して希有な事例ではない。

加齢が逸失利益の算定にあたつての就労可能年数に影響をおよぼすことは格別、年をとつているからといつて被告山崎の重大な過失による加害行為によつて入院、手術、失職の苦しみを受けたものが、治療費、休業補償、それに慰藉料まであらゆる項目を減額されるとすれば、あまりに不合理・不公正と解するほかはない。

4  抗弁8項の事実は、原告が被告らから本件事故による賠償金の一部として受領した金員が金六〇万円存在するとの限度で認めるが、それをこえる部分については否認する。

第三証拠

証拠関係は記録中の書証目録および証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一1  いずれも当事者間に成立に争いがない甲第一、第七、第八号証、第九号証の一、二、第一〇号証の一、二、乙第一号証の一ないし三、第二号証、第三号証の一ないし五、第四号証、第五号証の一ないし六、第六号証の一ないし一七、第七号証、第一〇号証の一ないし三、第一二号証、いずれも原告本人尋問の結果により成立が認められる甲第二ないし第六号証、鑑定人伊藤篤の鑑定の結果、証人伊藤篤の証言、原告および被告竹田徳寛、同山崎巌の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ右認定を左右するに足りる証拠はない(一部当事者間に争いのない事実を含む。)。

(一)  原告(昭和六年一二月六日生まれの男性)は、左記の交通事故(本件事故)により傷害を受けた。

(1) 日時 昭和五六年三月二二日午後〇時三〇分ころ

(2) 場所 和歌山県那賀郡桃山町大字調月一二二九番地先路上

(3) 加害車両 普通貨物自動車(本件車両)

(4) 態様 被告山崎が、訴外沢谷を助手席に乗せ、原告を同被告と訴外沢谷の間に乗せて、本件車両を運転して、本件事故現場付近(貴志川堤防)を北進中、ハンドル操作を誤り本件車両を堤防路上から川方向(左側)下に転落させた。

(二)  原告は本件事故により、頸椎捻挫、両大後頭部三叉神経痛、左悸肋部打撲症および後記に述べるとおり頸部挫傷による頸部椎間板症の各傷害を受けた。

(三)  本件事故は、被告山崎が本件車両の運転手として、本件事故現場付近の堤防上の路面を走行するときは、路面から車両が逸脱することがないよう路肩の位置に注意して適切なハンドル操作をなすべき義務があるのに、これを怠つたことにより、本件車両を堤防の下に転落させたことによつて発生したものであり、同被告は民法七〇九条により原告が本件事故によつて受けた損害を賠償する義務があり、被告竹田は、本件車両の所有者であつて、本件事故は本件車両を自己のための運行の用に供していた際生じたのであるから、自賠法三条により、原告が本件事故によつて受けた損害を賠償する義務がある。

(四)  原告は本件事故による前記傷害の治療のため、以下の各医療機関においてそれぞれ治療を受けた。

(1) 那賀病院において、昭和五六年三月二二日から同年三月二五日まで通院(日数四日)、同年三月二六日から同年五月二三日まで入院(日数五九日)、同年五月二四日から同年九月二一日まで通院(日数一二一日)。

(2) 仲井間外科において、昭和五六年九月二六日から昭和五七年二月二二日まで入院(日数一五〇日)、同年二月二三日から昭和五九年一〇月三日まで通院(日数九五四日)。

(3) 労災病院において、昭和五九年一〇月四日から同年一〇月二二日まで通院(日数一九日)、同年一〇月二三日から昭和六〇年三月二日まで入院(日数一三一日)、昭和六〇年三月三日から同年一〇月二二日まで通院(日数二三四日)。

(五)  原告は、本件事故による傷害のため、前記のとおり入通院治療を続けたが完治せず、昭和六〇年一〇月二二日症状固定の頸部挫傷による頸部椎間板症、頸椎・左肩運動傷害の後遺障害が残つた。

また、後記のとおり、右後遺障害の程度は、労働基準監督局長通牒昭和三二年七月二日基発五五一号八級二号に該当するものである。

なお、右各証拠とりわけ伊藤医師作成の鑑定書(鑑定の結果)および同人の証人としての証言によれば、原告には左耳鳴り残存の障害が残つているものの、これは原告の職業が大工であり、従前から電気のこぎりを使いつづけてきたことによつて生じる職業性の難聴により生じたものと推認することができ、本件全証拠によつても原告の右障害は本件事故と相当因果関係のある障害と認めることはできない。

2  被告らの主張するところである、本件事故の際、本件車両に運転者である被告山崎、助手席に訴外沢谷、その間に原告が座つていて、堤防上の道路から高低差が四ないし五メートルある河川敷まで二回転半ころがつたものの、強いシヨツクは本件車両内に乗車していた人間には加わらず、乗車していた被告山崎のけがは同病院に二日通院しただけの軽症であつて仕事を一日も休んだということはなく、また訴外沢谷の症状も那賀病院において約二〇日ないし一か月程度の通院治療の結果全治する程度の軽症であつたし、さらに原告自身、原告の本件事故直後の那賀病院における診察の結果は、全治約一週間を要する頸部捻挫、顔面擦過症、胸腰部分打撲の軽症の診断であつたにすぎず、またその際のレントゲン撮影の結果、外的傷害に基づく異常所見はなんら発見されておらず、その治療の際のカルテには頸部捻挫による頸部椎間板症をうかがわせる記載はなく、那賀病院および仲井間外科において原告が受けた治療内容も頸部捻挫を軽快させるための消炎・鎮痛を目的とする理学療法および温熱療法にすぎないこと、それにもかかわらず、原告は昭和五九年一〇月四日労災病院において受診し、その際におけるレントゲン撮影の結果によれば第四、第五、第六頸椎間の不安定性が著明であるとして、同年一一月二日頸椎前方固定術を受けているが、右受診時は、本件事故からすでに約三年半も経過していることを考えれば、原告の頸部椎間板症は本件事故による受傷に基づくものではなく、原告の他の病的原因によるものである可能性があり、原告の頸部椎間板症の本件事故との因果関係はきわめて疑わしく、また本件事故から約四年半後である昭和六〇年一〇月二二日に症状が固定したとされる頸部挫傷による頸部椎間板症、頸椎・左肩運動障害の後遺障害は本件事故と事実的因果関係があること自体が疑わしい旨の主張は、前掲各証拠とりわけ伊藤医師の鑑定の結果および同医師の本件における証人としての供述によれば、同医師の本件関係各証拠に基づく専門家としての見解としては、本件事故直後の那賀病院における原告の頸椎のレントゲン写真に、既に本件事故による受傷以前に存在したとみられる頸椎間の狭小化がみられ、本件事故による原告の受傷の程度は他の同乗者の症状との比較、本件事故直後の原告の症状がさほど重篤ではなかつたこと、頸部椎間板症の発症が本件事故後三年余も経たのちにされている等の事情に照らせば、本件事故がなくても原告には頸部椎間板症が発現していたとの可能性はあり、本件事故と原告の右症状との事実的因果関係については医学的にみて明確に断定することは困難ではあるものの、単なる普通の加齢的・病的変化のみであるとすると、原告のような急激かつ重篤な症状は発現するということは考えられないから、本件事故以前には明確な形で発症するに至つてはいなかつたものの、原告の頸部椎間板症による前記諸症状は、原告の既往症である頸部椎間板症が本件事故による受傷によつて修飾・悪化してきたものと考えるのが相当であり、原告の発症が急激にあらわれなかつたのは、原告に右症状が発生した原因としては本件事故による受傷のみならず、原告の頸部椎間板症の既往症および加齢的変化が競合しているため、年月の経過とともにその症状が徐々に発現したからと考えられ、そのように考えるのが医学的見地からして不合理はないとのことであり、本件全証拠によつても右見解を採りえないとする理由および根拠はないので、本件事故と原告の頸部椎間板症およびこれに基づく頸椎・左肩運動障害の後遺障害との間には条件的因果関係があるものであること、また、本件事故の態様は前記のとおり原告らが同乗していた本件車両が斜面をころげ落ち、二回転半したうえ停止したとのものであつて、決してその態様からして通常予期しえない重篤な傷害を与えるはずのない軽微なものであつたとは考えられないので、本件事故と原告の頸部椎間板症およびこれに基づく頸椎・左肩運動障害の後遺障害との間には相当因果関係があるものと認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はなく、被告らの前記主張には理由がない。

二  前掲各証拠並びに弁論の全趣旨によれば、原告の本件事故による損害のうち、本件事故と相当因果関係にある損害は以下のとおりであるものと認められ右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  原告は本件事故による前記傷害の治療のため、那賀病院において昭和五六年三月二二日から同年三月二五日まで通院し(日数四日)、同年三月二六日から同年五月二三日まで入院し(日数五九日)、同年五月二四日から同年九月二一日まで通院し(日数一二一日)、続いて仲井間外科において昭和五六年九月二六日から昭和五七年二月二二日まで入院し(日数一五〇日)、同年二月二三日から昭和五九年一〇月三日まで通院し(日数九五四日)、さらに労災病院において昭和五九年一〇月四日から同年一〇月二二日まで通院し(日数一九日)、同年一〇月二三日から昭和六〇年三月二日まで入院し(日数一三一日)、昭和六〇年三月三日から同年一〇月二二日まで通院(日数二三四日)した。

原告が那賀病院に入院した際に、その入院期間である五九日間原告は一日あたり金八〇〇円を下回わらない金額の支出を余儀なくされ合計金四万七二〇〇円の損害を受け、また仲井間外科および労災病院に入院した際に、その入院期間である二八一日間原告は一日あたり金八〇〇円を下回わらない金額の支出を余儀なくされ合計金二二万四八〇〇円の損害を受けたとの事実が認められ、原告のこれらの各医療機関への入院は、後記の理由によりその必要性もあつたものと解することができる。

なお被告らは、本件事故によつて原告が入通院を繰り返すような重症を負つたとの事実、頸部椎間板症の傷害と本件事故との因果関係に疑問がある旨それぞれ主張するが、前記の理由で本件事故と原告の受けた前記傷害との間には相当因果関係あるものと認められるから、被告らの右主張には理由がない。

さらに被告らは、原告が那賀病院における入院治療を終えて退院し、さらに同病院において消炎・鎮痛を目的とする理学療法および温熱療法等の通院治療のみを受けていたにもかかわらず、同病院の医師の紹介で仲井間外科において本件事故から約半年経過した昭和五六年九月二六日に診察を受け、その初診日である同日同病院に入院しているのは不合理であり、しかも原告が同病院において入院治療を受けたのは同日から昭和五七年二月二二日までの一五〇日間にわたるが、その間原告が外泊した日数はカルテの記載から三八日間にも及び、入院治療を受ける必要があつたとは考えられないので、仲井間病院において原告が入院までして治療を受けることは必要なく、その間の入院雑費は被告らにおいて負担すべきものではない旨主張する。

しかし、前掲各証拠とりわけ原告本人尋問の結果によれば、原告の仲井間外科への転院は、同病院が原告宅から徒歩約二〇分の近所にあることもあつての、那賀病院の院長である医師の薦めによるものであること、原告の仲井間外科への入院は同病院の医師の指示によるものであること、原告の外泊は同病院医師の原告に対する運動・入浴の薦めによるものであること、また原告が那賀病院に入通院しているころは本件事故による傷害の症状としてはさほど重篤なものではなかつたが、仲井間外科に転院するころから、頭が以前に比べ痛くなり、足に虫がはつているような感覚になる等那賀病院に入通院しているころに比べてかえつて症状が重くなつていること、これはその後の原告の症状の悪化、治療経緯に照らすと、本件事故による頸部挫傷による頸部椎間板症の傷害が徐々に悪化し、発症してきていたことによるものと推認することができ、原告の症状は、原告が昭和五九年一〇月四日労災病院において受診した際、直ちに入院のうえ前方固定術という手術を受けなければならない旨同病院の医師に告げられるほど症状が悪化していたものであること等の事情を考慮すれば、原告の仲井間病院において治療を受けた際の症状は既にある程度重篤なものであつたと推認され、その際における治療については、被告らが主張するように入院の必要まではなく、入院は過剰治療であるものとまでは認めることができない。

2  原告が労災病院において入院治療を受けていた一三一日間、毎日原告の妻が原告の付添看護をし、原告が労災病院で前方固定術という手術を受けているとの治療内容からすれば、原告には同期間付添看護を受ける必要があつたものと認められるから、入院期間中一日あたり金三五〇〇円として計算した金四五万八五〇〇円の入院付添費相当の損害を原告が受け、これは本件事故と相当因果関係にある損害であるものと認めることができる。

3  原告の入通院の経過は前記のとおりであり、その症状・期間・治療内容等に照らすと、那賀病院における入通院慰藉料としては金八〇万円、仲井間外科および労災病院における入通院慰藉料としては金三四〇万円(後記の民法七七二条による寄与分による減額を考慮には入れていない金額である。)をもつてそれぞれ相当と認める。

4  原告は、本件事故による傷害のため、前記のとおり入通院治療を続けたが、完治せず、昭和六〇年一〇月二二日症状固定の頸部挫傷による頸部椎間板症、頸椎・左肩運動障害の後遺障害が残り、右後遺障害の程度は、労働基準監督局長通牒昭和三二年七月二日基発五五一号八級二号に該当するものであつて、その後遺障害慰藉料としては金五五〇万円が相当であり、また前記のとおり本件事故と原告の右後遺障害とは相当因果関係があるものと認められる。

5  原告は本件事故による前記各傷害により、本件事故当日である昭和五六年三月二二日から前記後遺障害の症状固定日である昭和六〇年一〇月二二日までの一六七六日間休業を余儀なくされ、また原告の収入は、労災保険の休業補償給付の算定基礎である給付基礎日額金一万一九三四円として算出するのが相当であるから、原告が那賀病院に入通院期間中である昭和五六年三月二二日から昭和五六年九月二五日まで一八八日間合計金二二四万三五九二円、原告が仲井間外科に入通院するようになつた同年九月二六日から後遺障害の症状固定日である昭和六〇年一〇月二二日まで一四八八日間合計金一七七五万七七九二円以上合計金二〇〇〇万一三八四円の損害を原告が受けたものと認められる。

なお被告らは、休業損害の基礎となる収入額について、原告主張の労災保険の給付基礎額である日額金一万一九三四円を収入の基礎とすることは、右給付日額は本件事故前三か月の賃金の平均であり、右期間は偶然原告の仕事が極めて忙しい期間で、従つて賃金も通常の期間と比べ異常に多額にのぼつていた、すなわち、通常の期間は一日約金一万一〇〇〇円の日当で一か月あたり約二二、三日間働いていたにすぎないのにもかかわらず、本件事故前約三か月くらいは小学校の校舎建設のための突貫工事に原告も加わり、平均して月二九日も働いていたのであつて、不当に高額すぎ、原告の休業損害の基礎としては通常の月収である月金二四万二〇〇〇円ないし金二五万三〇〇〇円を基準とするべきである旨主張し、それに沿う被告竹田徳寛本人尋問の結果があるが、原告は本件事故前、前記労災保険の給付日額である平均日額一万一九三四円に相当する労働を現実に行ない、その収入を得ていたことは被告らにおいても争わないし、弁論の全趣旨によれば、原告は本件事故以後も同等の労働をする意思もその能力も有していたことが認められるのであるから、前記平均日額一万一九三四円、年額金四三五万五九一〇円を休業損害の算出の基礎とすることが不当であるとも考えられない。また右金額は当裁判所に顕著な昭和五六年度賃金センサス第一表学歴計・産業計・企業規模別計の四五歳から四九歳(本件事故当時の原告の年齢は四九歳)の男子労働者の平均年収金四五五万三九〇〇円と比べてもむしろ低額であることも考えあわせると、前記金額を基礎として休業損害を算出するのが相当であつて、被告らの右主張には理由がない。

6  原告に昭和六〇年一〇月二二日症状固定の頸部挫傷による頸部椎間板症、頸椎・左肩運動障害後遺障害が残り、右後遺障害の程度は、労働基準監督局長通牒昭和三二年七月二日基発五五一号八級二号に該当するものであることは前記のとおりであり、原告はその職業としての大工の仕事を行なうについて少なくとも同通牒記載の四五パーセントの労働能力を喪失したものであることが前掲各証拠並びに弁論の全趣旨から認められ、また原告は右症状の固定の日の翌日である昭和六〇年一〇月二三日(症状固定時の原告の年齢は五三歳)から満六七歳になるまでの一四年間就労が可能であつたものと認められ、これに相当する新ホフマン係数は一〇・四〇九四であり、また原告の収入は、前記労災保険の休業補償給付の算定基礎である給付基礎日額金一万一九三四円として算出するのが相当であるから、原告は本件事故による前記後遺障害によつて金二〇四〇万四〇八四円の収入を逸失したものと認めるられる。

なお、被告らは逸失利益の基礎となる収入額について、原告主張の労災保険の給付基礎額である日額金一万一九三四円は前記休業損害について述べたのと同じ理由で過大であり、原告の休業損害の基礎としては通常の月収である月金二四万二〇〇〇円ないし金二五万三〇〇〇円を基礎とすべき旨主張するが、前記休業損害についての認定と同一の理由により(なお、昭和六〇年度賃金センサス第一表学歴計・産業計・企業規模別計の五〇歳から五四歳―後遺障害固定時の原告の年齢は五三歳―の男子労働者の平均年収は金五二一万五四〇〇円である。)、過大であるものとは認められず、前記金額を基礎として休業損害を算出するのが相当であつて、被告らの右主張には理由がない。

三  次に被告らの抗弁について判断する。

1(一)  被告らは、本件事故については原告と被告らとの間において、原告の自発的申出により昭和五六年六月八日ころ、被告らは原告に対し、慰藉料金一〇万円を支払う旨の内容の示談(本件示談)が成立していて、右示談に基づき示談の席上被告山崎は原告に対し金一〇万円を支払つているのであるから、本件示談における金額をこえて、原告が被告らに対して請求している本件事故に基づく損害賠償は民法六九六条の定めにより失当である旨主張する。

(二)  原告作成部分については当事者間に成立に争いがない乙第八号証(本件示談書)には前記記載の内容の原告および被告山崎間の契約条項が記載されているのであるから、これによれば原告および被告山崎間に前項記載の内容の示談契約が成立しているものと推認される。この点について原告は右示談契約書の作成経緯は、原告が被告山崎からの労災保険の給付手続に必要であるからとの言を信じ、その目的のためのみに限るとの趣旨で本件示談書に署名したものであり、当事者である原告および被告山崎の間に示談の合意自体がなかつた旨主張し、それに沿う原告本人尋問の結果があるが、前掲各証拠並びに弁論の全趣旨によれば、右示談契約書作成の日である昭和五六年六月八日ころ、原告は那賀病院での入院治療を終えた直後であり、原告の本件事故による傷害の症状が重篤になつたのは、原告が仲井間外科に入院した昭和五六年九月二六日ころであつて、原告自身本件事故による傷害が重篤になることを予期していなかつたこと、また右示談書が作成された当時の原告の症状からするとその治療費、休業損害等損害の大部分が労災保険および本件車両の保険等の自動車保険でカバーされうる状態にあつたこと、被告山崎が原告の雇主であつたことの各事実が認められ、これらによれば原告と被告山崎との間の、被告山崎が現実に負担する金額として金一〇万円との少額の示談に原告が応じたとしても不自然とまでは解されず、結局原告は真実被告山崎との間において示談契約を締結する意思を有していなかつたものであると認めるに足りる反証はないことに帰し、前記推認の事実、すなわち原告および被告山崎間に前記記載の内容の示談契約が成立しているものと認められ右認定を左右するに足りる証拠はなく、原告の右主張には理由がない。

(三)  しかし、本件示談書作成の日である昭和五六年六月八日ころ、原告は那賀病院での入院治療を終えた直後であつて、前記認定のとおり原告の本件事故による傷害の症状が重篤になつたのは、原告が仲井間外科に入院した昭和五六年九月二六日ころであつて、原告自身本件事故による傷害が重篤になることを予期していないし、また予期しえなかつたことは前記認定のとおりであつて、本件のように交通事故の全損害を把握しがたい状況において、早急に小額の賠償金をもつて満足する旨の示談がなされた場合においては、示談によつて被害者が放棄した損害賠償請求権は、示談当時予想されていた損害についてのみと解すべきであつて、その当時予測できなかつた不測の再手術や後遺症がその後発生した場合その損害まで賠償請求権を放棄した趣旨であると解するのは当事者の合理的意思に合致したものとはみられず(最高裁判所第二小法廷昭和四三年三月一五日判決。民集二二巻三号五八七頁参照。)、本件において前記のとおり原告は前記示談契約当時、本件事故による傷害が重篤なものであると考えず、全損害を把握しえなかつた状態にあつたものである以上、原告は本件において本件示談の際把握されていなかつた損害の賠償を請求することができるものと解されるべきであるから、前記示談をもつて原告がもはや被告らに対して損害賠償を請求できない旨の被告らの主張には理由がない。

2(一)  前掲各証拠、とりわけ鑑定人伊藤篤作成の鑑定書(鑑定の結果)および同人の証言並びに弁論の全趣旨によれば、原告には、本件事故により傷害を受ける以前から、頸部椎間板症という既往症があり、この既往症の存在は本件事故直後原告が那賀病院において診察を受けた際におけるレントゲン写真(那賀病院から当裁判所が送付を受けたものであり、本件第一二回口頭弁論期日において提示がされているもの。)から明らかであり、また前記のとおり本件車両の同乗者の傷害の程度が比較的軽いことから、本件事故により原告に加わつた衝撃も比較的軽微なものであつたと推認されること、原告に頸部椎間板症という既往症がなければ、原告の治療が症状固定まで四年半もの長期間を要することもなく、また症状固定後においても、原告に前記のとおり労働基準監督局長通牒八級二号に該当するとの重大な後遺障害が残存するということもありえなかつたことがそれぞれ認められ右認定を左右するに足りる証拠はない。

また、伊藤医師は本件における証人として、本件における鑑定人として原告が前記各医療機関において受診した際におけるレントゲンフイルムおよびカルテ等を精査し、原告を直接診断した同医師の立場からすると、原告が本件事故により受けた衝撃と、原告が前方固定術の手術も含め、長期間の治療を要することとなつた原因である頸部椎間板症およびこれに基づく原告の頸椎・左肩運動障害の各後遺障害にはそれぞれ因果関係はあるが、前記のとおり原告の長期間の治療を要した頸部椎間板症および前記後遺障害に対する本件事故および前記原告の既往症の寄与した各割合について、数字で明確に述べることは難しいものの、強いて判断するとすれば、本件事故七・既往症三あるいは本件事故六・既往症四と判断される旨供述していて、本件全証拠によつても右判断を採りえないとすべき理由および根拠はないので、伊藤医師の右証言にかかる、原告の頸部椎間板症との既往症の、原告の本件事故による前記四年半にもおよぶ治療の延遷および前記の重い後遺障害に対する寄与割合が少なくとも三割はあるとの事実が認められ右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  また、一般に身体に対する加害行為と発生した損害との間に相当因果関係がある場合において、その損害が加害行為のみによつて通常発生する程度、その範囲をこえるものであつて、かつ、その損害の拡大について被害者の体質的素因が寄与しているときには、損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし、その損害賠償の額を定めるにあたり、裁判所は民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、その損害の拡大に寄与した被害者の右事情を斟酌することができ、これにより加害者の損害賠償義務が減じられうるものと解するのが相当である。

なお、最高裁判所第一小法廷昭和六三年四月二一日判決(民集第四二巻四号二四三頁参照。)は、体質的要素一般ではなく、心因的要因についてではあるが、相当因果関係の範囲内の損害について、その損害額を算定するにあたり、裁判所は民法七二二条を類推適用して、その損害に寄与した被害者の事情を斟酌できることを判示していて、損害の公平な分担という損害賠償法の理念について、被害者の心因的要因における場合と被害者の体質的要素一般における場合とをことさら区別すべき根拠もないのであるから、被害者の心因的要因のみならず、本件におけるように被害者の体質的要素の一である既往症についても民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、その損害の拡大に寄与した被害者の右事情を斟酌しうるものと解される。

一般に、交通事故の被害者は、そのおかれている諸環境のもとに、一定の年齢差・個体差を有するもので、同種・同質の疾病傷害であつてもその示す症状あるいは治療期間等を区々にすることは避けがたいから、医学的にみて特異な症状あるいは治療期間が異常に長期化しているなどの特段の事情がない限り、年齢差や個体差を直ちに寄与割合による損害賠償金の減額事由として斟酌すべきものと解すべきではないことは原告主張のとおりである。

しかし、本件における原告の既往症である頸部椎間板症すなわち「病的な」頸部椎間板の狭小化が、一般に加齢に伴い起こりがちなものであることは本件全証拠によつても認めることができないし、本件車両に乗車していた原告以外の者の本件事故による傷害が比較的軽く、また原告自身も本件事故直後の症状はさほど重篤なものではなく、原告の頸部挫傷による頸部椎間板症の諸症状がみられはじめたのは本件事故の約半年後である昭和五六年九月二六日ころからであり、また前方固定術の手術を受けなければならないほどその症状の悪化がみられたのは本件事故後約三年半経過した昭和五九年一〇月ころであるとの事実を勘案すると、原告自身が本件事故によつて受けた衝撃はさほど大きなものではなかつたことが推認されること、従つて本件事故により原告に加わつた衝撃からすると、原告の前方固定術を要するほどの頸部椎間板症の重篤な症状、異常な治療期間の長期化、治療後に残存した後遺障害の重さは、いずれも原告の普通人とは異なる病的な既往症が競合し生じた特異なものであると解され、本件においては、原告が本件事故によつて受けた損害を被告らに全額負担させることは相当でなく、本件は被害者の体質的素因の寄与分に応じた損害賠償義務の減額をなすべき事案であるものと解される。

(三)  本件においては、原告が仲井間外科に入通院する以前における原告の受けた本件事故と相当因果関係にある損害(休業損害、入院雑費および入通院慰藉料。)については、本件事故の態様からして通常生ずべき頸椎捻挫、両大後頭部三叉神経痛によつても、この程度の入通院による治療を受け、この程度の損害を受けたとしても不自然なことはないと考えられるので、これを過失相殺の類推適用による損害賠償金額の減額の対象とすることは相当ではないので、損害額全額を被告らの負担とすることとし、原告の症状が軽快するのではなく、かえつて重くなつたものと認められる仲井間外科における入通院による治療を開始した昭和五六年九月二六日から以後における原告の受けた本件事故と相当因果関係にある損害(休業損害、入院雑費、看護料および入通院慰藉料。)および後遺障害関係の損害(後遺障害による逸失利益、後遺障害による慰藉料)については、損害額から原告の既往症の寄与分として三割を減額した金額を被告らの負担とすることとする。

なお、被告らは、本件事故に基づく治療により原告が那賀病院に対して負担していた治療費は合計金一〇七万一四五〇円であつて、これらはすべて被告ら(実質的負担者は被告竹田と自動車損害賠償責任保険契約を締結していた被告両名補助参加人。)が支払つているのであるから、前記民法七二二条を類推適用して、右治療費のうち少なくとも三割については原告がこれを負担すべきであるので、前記治療費の少なくとも三割が被告らの支払うべき賠償金から控除されるべきである旨主張するが、前術のとおり、本件においては、原告が仲井間外科に入通院する以前における原告の受けた本件事故と相当因果関係にある損害については、これを民法七二二条の類推適用による損害賠償金額の減額の対象とすることは相当ではないから、これを控除すべきであるとの被告らの主張には理由がない。

3(一)  原告が、本件事故により原告が受けた前記損害から以下の一部填補を受けたことは原告の自認するところである。

(1) 労災保険の休業補償給付 金一一九七万八六八〇円

(2) 労災保険の傷害一時金 金七〇八万三三〇六円

(3) 自賠責保険より治療費として 金一二万八五五〇円

(4) 自賠責保険より後遺障害補償 金六七二万円

(5) 任意保険より 金三三万円

(二)  いずれも当事者間に成立に争いがない乙第九号証、第一一号証の一ないし四、被告竹田徳寛、同山崎巌の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、被告山崎および被告竹田は原告に対し本件事故の後である昭和五九年四月五日に金八万円、同年五月六日に金一五万円、同年六月八日に金三七万円および金一〇万円(本件示談金)、同年七月七日に金二六万円の合計九六万円を示談金および休業補償の趣旨で原告に支払つたとの事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はなく、原告の、被告らから本件事故についての賠償の趣旨で受領した金額は合計金六〇万円にしかすぎないとの主張は前記各書証との齟齬についての合理的説明がなされていないから採りえない。

(三)  一般に、交通事故による損害の一部を労災保険給付により填補された被害者に過失相殺事由がある場合には、労災保険の受給権者に対する第三者の損害賠償義務と政府の労災保険給付の義務とは、相互補完関係にあり、同一事故による損害の二重填補を認めるものではないと解され、また労災保険給付の性質が、損害の填補を基本としていることからしても、被害者の損害額に過失相殺をして加害者の負担すべき賠償額を定め、その額から労災保険給付を控除すべきものと解するのが相当であり(大阪地方裁判所昭和五九年二月二八日判決。判例時報一一二二号一二七頁参照。)、またこの理は、その趣旨および理由からして、損害賠償の額を定めるにあたり、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、その損害の拡大に寄与した被害者の体質的素因を斟酌し、これにより加害者の損害賠償義務が減じられるべき場合にも同様に相当するものと解されるべきである。

(四)  以上の次第で、原告が受領した旨を自認する労災保険の休業補償給付金一一九七万八六八〇円、労災保険の障害一時金七〇八万三三〇六円(なお、これらについては前記原告の本件事故により受けた損害のうちの被告らが賠償すべき義務のある金額のうち、財産的利益のうちの消極損害、すなわち休業損害および逸失利益の範囲内にあることは計数上明らかである。)、自賠責保険より治療費としての金一二万八五五〇円、自賠責保険より後遺障害補償金六七二万円、任意保険より金三三万円、前記原告が被告らから受領した金九六万円、合計金二七二〇万〇五三六円が、被告らが原告に対し本件事故により損害賠償すべき義務のある損害金三六五一万二四一五円から控除される。

四  被告らにおいて本件事故による損害賠償すべき金額の一部の金員しか任意にその支払いをなさなかつたため、原告は本件原告訴訟代理人に本件訴訟の提起・遂行を委任せざるを得なかつたことは弁論の全趣旨から明らかであり、本件訴訟の難易、認容額等の事情に照らせば、本件事故と相当因果関係にある本件における原告訴訟代理人に対する弁護士報酬として被告らが負担すべき金額は金一〇〇万円が相当である。

五  以上の次第で、被告らは原告に対し各自金一〇三一万一八七九円およびこれに対する本件事故の日である昭和五六年三月二二日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものと解され(以上の計算関係については別紙計算式2参照。)、原告の被告らに対する請求には、右金員を支払うべきとの限度において理由があるからそれぞれこれを認容し、原告の被告らに対する請求のうちその余の部分にはいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担については、民訴法八九条、九二条、九三条、九四条に、仮執行の宣言については同法一九六条にそれぞれ従い主文のとおり判決する。

(裁判官 西野佳樹)

計算式1

Ⅰ 損害

A 治療関係

〈1〉 看護料 458,500

〈2〉 諸雑費 341,000

〈3〉 入通院慰藉料 4,500,000

以上小計σ1(〈1〉+〈2〉+〈3〉) 5,299,500

B 休業損害

〈1〉 期間(日) 1,676

〈2〉 一日あたりの得べかりし収入 11,934

以上小計σ2(〈1〉×〈2〉) 20,001,384

C 後遺症による損害

〈1〉 年収 4,355,910

〈2〉 期間 14

〈3〉 新ホフマン係数 10.4094

〈4〉 労働能力喪失割合〔パーセント〕 45

以上小計σ3(〈1〉×〈3〉×〈4〉÷100) 20,404,085

E 後遺障害慰藉料

以上損害額合計Σ 5,500,000

(σ1+σ2+σ3+後遺障害慰藉料) 51,204,969

Ⅱ 過失相殺類推

〈1〉 減額割合〔パーセント〕 0

〈2〉 減額後の金額

(Σ×(1-〈1〉÷100)) 51,204,969

Ⅲ 損益相殺

〈1〉 労災保険の休業補償給付 11,978,680

〈2〉 労災保険の傷害一時金 7,083,306

〈3〉 自賠責保険からの治療費 128,550

〈4〉 自賠責保険からの後遺障害補填 6,720,000

〈5〉 任意保険 330,000

〈6〉 被告らより 600,000

小計(〈1〉+〈2〉) 26,840,536

Ⅳ 弁護士費用 2,500,000

Ⅴ 総計(Ⅱ-Ⅲ+Ⅳ記載の各金額) 26,864,433

計算式2

Ⅰ 損害 郡賀病院関係 仲井間外科ほか

A 治療関係

〈1〉 看護料 0 458,500

〈2〉 諸雑費 47,200 224,800

〈3〉 入通院慰藉料 800,000 3,400,000

以上小計σ1(〈1〉+〈2〉+〈3〉) 847,200 4,083,300

B 休業損害

〈1〉 期間(日) 188 1,488

〈2〉 一日あたりの得べかりし収入 11,934 11,934

以上小計σ2(〈1〉×〈2〉) 2,243,592 17,757,792

C 後遺症による損害

〈1〉 年収 - 4,355,910

〈2〉 期間 - 14

〈3〉 新ホフマン係数 - 10.4094

〈4〉 労働能力喪失割合〔パーセント〕 - 45

以上小計σ3(〈1〉×〈3〉×〈4〉÷100) 0 20,404,084

E 後遺障害慰藉料 - 5,500,000

以上損害額合計Σ

(σ1+σ2+σ3+後遺障害慰藉料) 3,090,792 47,745,176

Ⅱ 過失相殺類推

〈1〉 減額割合〔パーセント〕 0 30

〈2〉 減額後の金額

(Σ×(1-〈1〉÷100)) 3,090,792 33,421,623

〈3〉 総損害額(〈2〉の合計) 36,512,415

Ⅲ 損益相殺

〈1〉 労災保険の休業補償給付 11,978,680

〈2〉 労災保険の傷害一時金 7,083,306

〈3〉 自賠責保険からの治療費 128,550

〈4〉 自賠責保険からの後遺障害補填 6,720,000

〈5〉 任意保険 330,000

〈6〉 被告らより 960,000

小計(〈1〉ないし〈6〉) 27,200,536

Ⅳ 弁護士費用 1,000,000

Ⅴ 総計(Ⅱ-Ⅲ+Ⅳ記載の各金額) 10,311,879

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